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回り道をした人々1 P.H. 教授の話(第2話)


第1話から続く



奇跡の人



どのようにして大学に入学し、博士課程の奨学金まで得ることができたのか・・・それについては、Pは語りませんでした。しかし誰もが口を揃えて、ドイツの教育制度ではまず不可能で、彼は奇跡でしかない、と話していました。

彼の仕事ぶりは伝説的です。一度実験室で働き始めたら、実験が完全に終了するまで決して休まない、と言われたほどです。人よりかなり遅いスタートながら、村を案内してくれた時、彼はすでに博士号を取得して、研究者としての道を順調に歩み始めていました。研究は評価されて受賞もあり、彼の指導教官は、博士号取得後も彼を助手(ポスドク)として残しました。研究室は事実上、彼が仕切るようになっていました。

しかし彼はこのために多くの犠牲を払っていました。次の機会に会った時、彼の結婚生活はすでに破綻し、妻と離婚協議中でした。

彼女は大学の人々に敵意を抱いていました。彼女は職人のPと幸せな結婚をしたと思っていたのです。気の置けない職人仲間の人々と、楽しい生活を送れるはずでした。

大学の人々と接するようになり、自分たちの生活圏も交友関係も変わって行きます。ドイツのアカデミズムは別世界です。非常に権威主義的で、話し方や服装にも気を遣い、ライフスタイルまで変えなければなりません。

夫が研究者として知られてくると、ゲストとの会食やパーティに同席を求められました。これが最も苦痛でした。男性たちは物理学の会話に明け暮れる。自分は失礼が無いように、丁重で気品のある振る舞いに心がけ、場に合った会話でゲストの伴侶を楽しませる・・・興味も価値観も異なり、人生の背景が全く異なる人たちと、そんな交流はしたくない。出来るはずもありません。自分の生活が破壊され、夫が別人になって行くのに耐えられなくなった・・・故郷の村に戻り、自分に合った生活を取り戻したかった・・・

ポスドクの任期を何回か更新した後、彼は一定期間、企業の研究所に移りましたが、その後 Habilitation (ドイツに特有の上級資格、教授職に応募する際に必要)を取得し、私より2年ほど早く教授職を得ました。東西ドイツが統一され、旧東ドイツの大学が整備された際に、多くの研究者が求められて西側から移った時のことです。

着任して間も無く、廃屋として放置されている家を安値で買い取り、大工の腕を活かして自分の手で美邸に仕上げました。大変に大きな家で、ある雪の日に自分の庭を散歩して道に迷い、凍死しそうになったと笑っていました。

彼はその後、高校の数学教師と再婚し、大邸宅で幸せに暮らしています。







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