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回り道をした人々1 P.H. 教授の話(第3話)


第2話から続く



Pの本質


ドイツの学校教育は、日本と似通ったところがあり、当てはめ思考を強制する傾向があります。

研究会やシンポジウムで、基礎知識や常套手段を頭に詰め込み、これを対象外のケースにまで当てはめてしまう人を、ドイツの若手研究者の中に、比較的多く見かけました。間違いを指摘されると、「常識」を振りかざして反撃してきます。ドイツ人でなくとも、ドイツでポスドクを経験した人は、人格まで攻撃的に変わり、似た反応を示すようです。

間違いではなくても、誰にでも出来るような研究や、意義の乏しい研究は、たとえ多くの論文を書いても評価は限定的です。物理学は、次々と小分野が誕生して発展し、そのうちの幾つかが大分野として残ります。当てはめ思考で重要な結論が得られるような「美味しい」仕事は、発展の初期段階で、すべてやり尽くされます。若い研究者が世に出るためには、そこから一歩、抜け出なければなりません。

第2話に書きましたが、ドイツでは、大学や研究所の正規ポストに応募するためには、博士号では足らず、Habilitation という上級資格が必要になります。それには相当の研究の蓄積と質が要求され、審査での厳しい質疑応答に耐えられる実力が必要です。アカデミックな世界に残るのは、ポスドクのおよそ10人に1人と言われます。

Pは恐らく、ドイツ式の学校教育には馴染まなかったのでしょう。やり方だけを教えられると、足が前に出ないタイプだったのです。私の観察では、芸術的な性向のある人の多くは、そのタイプです。

進学の際に、建築家の兄が経済的に支援してくれた、とだけ話してくれました。絵が好きだった自分に、リフォームの仕事を勧めた兄の判断は正しかったと思うが、それを一生続けられるか?と自問自答したとき、答えは完全にノーだった、と語っていました。彼はその時、自分が何者であるかを悟ったのでしょう。

研究者としての彼は、本質的な点に強く拘り、考察が深く、多面的でした。これは物理屋として彼を知るすべての人々の、共通の意見です。

何が問題かを理解し、廻しを掴んだ時のPには、横綱の強さがありました。彼は自分が何者であるかを知ると同時に、自分の勉強のやり方を自覚し、それを貫く決心をしたのでしょう。そしてそれにより、彼の本来の能力が覚醒し、当てはめ思考では到底及ばない、自分の学問スタイルを確立したのです。

そして恐らく、長兄は彼の能力に気付いていました。

(終わり)

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