言葉の重要性(2)
言葉の重要性(1)の続きですので、そちらから読んで下さい。
原因はどこにあるか?
私の印象では、読み違えが多いという事実は、不適切なツイートが多かったことと原因が共通しているように見えます。どちらの人々も「何の話か」を見失っています。
例2はその典型です。話を進める前に、もう一度文章を書いておきましょう:
「アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解する
が、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない」
「何の話か」に対する無関心
まずこの文章が、何の話をしているのか・・・つまりwhatについて、考えたいと思います。
ここでは「消化酵素が分解できる栄養素はそれぞれ異なる」ということについて、話しています。これを意識して問題文を
「※※※は・・・¥¥¥を分解するが・・・$$$は分解できない」
と素直に読めば、「$$$は( )と違う」という穴埋め問題には〇〇でも答えられるのではないでしょうか?
素人考えですが、この程度の読解能力は単純な論理判断なので、AIに組み込めると私は思います。実際に、関連分野に詳しい友人によると、少なくとも初期の人工知能には、このような論理判断は組み込まれていたということです。
さらに、この文章は分子構造の概念を持たなくても意味が理解できるように書かれていますので、誤解の原因は、予備知識の不足ではありません。栄養物質の成り立ちにも消化のメカニズムにも関心を持っていないために、意味を考えずに読んでしまっているのです。
意味を考えながら読む習慣の重要性
「何の話か」に注意を向ければ、必然的に意味を考えながら読むようになります。
自分の人生に関係ない文章を、関心を持って読め、と言っても難しいでしょう。しかし、新しい知識に接する際に、「へえ、そうなのか」という小さな感動は大切です。
「アミラーゼという酵素は・・・」
へえ、そんな名前の酵素があるのか・・・
「グルコースという物質が繋がって出来たデンプン・・・」
ふーん、グルコースなんて知らないけど、デンプンはそんな構造なのか・・・
「アミラーゼは・・・デンプンを分解するが・・・」
そういう酵素なんだ・・・きっと、グルコースに分解するんだな・・・
「同じグルコースから出来ていても・・・セルロースは・・・」
へえ、セルロースはデンプンと同じものから出来ているんだ・・・
「・・・いても、セルロースは形が違う・・・
ん? グルコースの繋がり方が違うのかな・・・
「アミラーゼ・・・は・・・セルロースを分解できない・・・」
・・・繋がり方が違うと分解できないんだな・・・
短い文章でも、関心を持って読めば、ほぼ無意識にこの程度の思考が並走するはずです。
読むということは、このような同時進行の思考を含む行為です。これ無くしては、人の言葉は理解できません。つまり、正解できなかった人は「読み違えた」のではなく、「読んでいなかった」のです。
知的好奇心、などというと大袈裟ですが、what に焦点を合わせる習慣を失うと、日常の小さな好奇心は失われ、意味を考えながら文章を読むことをしなくなります。
追記
前回の記事で、私は「人々がAIと同じ読み方をしている」との新井氏の分析には賛成しない、と書きましたが、AIは(今のところ)意味を考えることはできないようです。
したがって、私の言っていることは、新井氏の分析を解説したに過ぎないのかもしれません。
原因はどこにあるか?
私の印象では、読み違えが多いという事実は、不適切なツイートが多かったことと原因が共通しているように見えます。どちらの人々も「何の話か」を見失っています。
例2はその典型です。話を進める前に、もう一度文章を書いておきましょう:
「アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解する
が、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない」
「何の話か」に対する無関心
まずこの文章が、何の話をしているのか・・・つまりwhatについて、考えたいと思います。
ここでは「消化酵素が分解できる栄養素はそれぞれ異なる」ということについて、話しています。これを意識して問題文を
「※※※は・・・¥¥¥を分解するが・・・$$$は分解できない」
と素直に読めば、「$$$は( )と違う」という穴埋め問題には〇〇でも答えられるのではないでしょうか?
素人考えですが、この程度の読解能力は単純な論理判断なので、AIに組み込めると私は思います。実際に、関連分野に詳しい友人によると、少なくとも初期の人工知能には、このような論理判断は組み込まれていたということです。
さらに、この文章は分子構造の概念を持たなくても意味が理解できるように書かれていますので、誤解の原因は、予備知識の不足ではありません。栄養物質の成り立ちにも消化のメカニズムにも関心を持っていないために、意味を考えずに読んでしまっているのです。
意味を考えながら読む習慣の重要性
「何の話か」に注意を向ければ、必然的に意味を考えながら読むようになります。
自分の人生に関係ない文章を、関心を持って読め、と言っても難しいでしょう。しかし、新しい知識に接する際に、「へえ、そうなのか」という小さな感動は大切です。
「アミラーゼという酵素は・・・」
へえ、そんな名前の酵素があるのか・・・
「グルコースという物質が繋がって出来たデンプン・・・」
ふーん、グルコースなんて知らないけど、デンプンはそんな構造なのか・・・
「アミラーゼは・・・デンプンを分解するが・・・」
そういう酵素なんだ・・・きっと、グルコースに分解するんだな・・・
「同じグルコースから出来ていても・・・セルロースは・・・」
へえ、セルロースはデンプンと同じものから出来ているんだ・・・
「・・・いても、セルロースは形が違う・・・
ん? グルコースの繋がり方が違うのかな・・・
「アミラーゼ・・・は・・・セルロースを分解できない・・・」
・・・繋がり方が違うと分解できないんだな・・・
短い文章でも、関心を持って読めば、ほぼ無意識にこの程度の思考が並走するはずです。
読むということは、このような同時進行の思考を含む行為です。これ無くしては、人の言葉は理解できません。つまり、正解できなかった人は「読み違えた」のではなく、「読んでいなかった」のです。
知的好奇心、などというと大袈裟ですが、what に焦点を合わせる習慣を失うと、日常の小さな好奇心は失われ、意味を考えながら文章を読むことをしなくなります。
追記
前回の記事で、私は「人々がAIと同じ読み方をしている」との新井氏の分析には賛成しない、と書きましたが、AIは(今のところ)意味を考えることはできないようです。
したがって、私の言っていることは、新井氏の分析を解説したに過ぎないのかもしれません。
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