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保護者の方々へ

コミュニケーションのための英語学習

「入学試験がもたらしたもの」の記事で私は、国際社会でのコミュニケーションという目標設定をすると、英語の勉強方法は大きく変わると書きました。もちろん、文字による対話もコミュニケーションであり、読書も(一方的ではありますが)コミュニケーションのひとつです。しかし、ここではとりあえず、音声によるコミュニケーションに話を限定しましょう。

目次

「英文解読学」との違い

コミュニケーションのための外国語は、一人で机に向かって自習することができません。言葉の解る相手と対話することが必要です。コミュニケーションを目的としない英文解読学であれば、文法書と辞書を頼りに、独習が可能かもしれません。しかしこの場合、英語は言葉でなくなります。現代では使われていない古代言語の解析に似て、頭の使い方が大きく変わってしまいます。

言語野の働き

人間が本来持っている言語習得能力は、脳の言語野(げんごや)と呼ばれる部位の働きによるもので、聴覚の機能と密接に結びついています。ここでは音声の介在が本質的に重要で、英文解読学の頭の使い方は、この点で全く異なります。

言語野はどのような時に起動するのでしょうか?

自分が言葉を話し始めた頃の記憶が残っている人は、少し思い出してみて下さい。まず、少なくとも

  1.誰かが自分に話しかけている

  2.音声を聞き、状況との関連を理解しようと努める

ということがあったと思います。このような時に、言語野が起動します。そして子供は無意識のうちに記憶を探り、過去のケースに照らし合わせます。これを繰り返してデータを蓄え、少しずつ理解できる言葉を増やして行きます。

子供はある日突然話し始める、と良く言われますが、多くの子供はそれまでに周囲の大人が発する音声を真似て、様々な発声練習をしています。記憶領域に蓄えられている音声データと同じ音声を作り出せるように備えているのでしょう。このときも、言語野が活発に活動していると思われます。

言語野をいかに働かせるか

前回の記事に書いた言語野の働きは、ある程度年齢の高い子供が、副言語として英語を学ぶ場合にも、基本的には当てはまります。年齢を問わず、言語を学習する場合は言語野を起動させ、人間が本来持っている言語習得能力をフルに活用しなければなりません。

子供の情景

海外で生活をしていると、言葉を覚え始めた幼児期に戻ったような錯覚を覚える瞬間がよくあります。実際にその国では、社会人としての経験が乏しく、ある意味で幼児と言えますが・・・そのような感覚は、言語野の活動と関連性があるように思えます。

年齢が上がると人間の言語習得能力は急速に低下する、と考えている人が多いようですが、私の印象は異なります。確かに記憶力は低下しますが、言語野の機能はかなりの年齢まで保たれているように思えます(私の年齢でも、それなりに機能していると思っています)。

眼前の状況に対応している適切な語彙や表現がタイミングよく耳に入った時、それらの言葉はその場でスパンと頭に入り、決して忘れることがありません。最も効率の良い学習ができた瞬間です。私の場合、言葉を覚え始めた幼児期の記憶に通ずるところがありました。この体験をした人は、外国語を学習する際にどのように頭を使うべきかを自覚できるでしょう。



母国語を持つ利点

母国語が固まってからの外国語の学習では、幼児の場合より効率を上げることすら可能であると、私は考えています。すでに一つの言語を持っているという利点を活かせば、多くの事が可能になります。

幼児は経験と推測によって少しずつ進むしかありませんが、母国語を持っていれば、言葉と状況の対応をその場で(説明を受けることによって)知り得ます。これは幼児の学習に比べて飛躍的に時間を短縮できます。ちなみに、辞書を引かせる指導は、この利点を大幅に損ないますので、導入期には適しません。

また、言葉を客観的に理解できる精神年齢に達した子供に対しては、文章の構造を系統的に説明することができます。

ただし系統的と言っても、「英文法」→「英単語」→「英文解読学」・・・の方向へ向かうのではなく、文章の構造を感覚として身に付けなければいけません。これも、タイミングよくスパンと頭に入ることが理想です。

これは、「英語2」の記事に書いた表現で述べると、日本語がインストールされた言語野に、英語をマウントする作業に対応します。

導入期はいつ終わるか?

ところで英語学習の場合、導入期とは、どの程度までの期間を指すのでしょうか?

この期間は、「英語2」の記事に書いたように、「英語が言語野に正しくマウントされるまで」と考えれば良いでしょう。言い換えれば、「文章の基本的な構造が感覚として身に付くまで」です。中学校終了時、あるいは高校1年生の中頃までの内容が、ひとつの目安になるでしょう。

終わるのではなく、終わらせる

実は日本の伝統的な英語教育は、導入期の教育方法が良くありませんでしたが、その教育内容は優れていました。日本の中学英語の教科書を見た英語圏の人々は、「日本人は、これだけしっかりした英語教育を受けているのに、なぜ話せないのだろう」と不思議がります。多くの外国人にとって、データのダウンロードとプログラムのインストールが切り離されたような言語教育は、理解が出来ないようです。

これは、かつて英語学習が「英文解読学」の方向へ向かってしまったことが原因です。言語野を全く使わない学習が、日本中に定着してしまったのです。そのルーツは、江戸時代以前の漢文の学習にあると言われていますが・・・

そして、今は早期教育熱の高まりを背景に、別の要因が加わり始めているようです。低年齢化とともに、前回の記事に書いたように「易しい導入」の傾向が強くなり、これが、言語野を起動させてもスリープ状態に置く学習を定着させそうな気配です。

そもそも、中学校教科書のレベルをきちんと習得しようとすれば、正しい学習はかなりハードにならざるを得ません。敢えて言い切ってしまうと、中学校レベルの英語を、実際の会話の速さで聴いて理解し、また(ほぼ正しい発音と普通の速さで)話すことができるなら、英語圏で生活しても、日常生活では殆ど困りません。英語は言語野に正しくマウントされつつあると言えるでしょう。

これがかなり高いハードルであることは、英語を学習するにあたり、最初に自覚しておくべきです。高いハードルを越えるためには、前回の記事に書いたように、正しい学習が必要です。そして、恐れないことが重要です。

難しいに違いない・・・と恐れ、慣れ親しむだけの学習に終始すると、「英文解読学」の方がまだしも・・・という結果になりかねません。実際に、学校教育がコミュニケーション英語の方向へ舵を切って以来、大学生の英語読解力の低下が、非常に心配される状態になってきました。様々な表現が雑然と記憶されているだけで、言葉の成り立ち(構造)が系統的に理解できていないのです。

「導入期はいつ終わるか」と表題に書きましたが、実際のところは「いつ終わらせるか」です。慣れ親しむだけであれば、永久に終わりません。日本の学校教育と並行して、無理なく実行できるプランを提案するとすれば、私は導入教育は集中的に、2年間程度でしっかり終わらせることが望ましいと思います。ちなみに、移民を多く受け入れている英語圏では、これを数か月で達成するような外国人向けのプログラムを組んでいます。 

                                                                       

終わらせた後に、洗練させる

ただ、「ここで英語のマウントが終了した」という明確な境界はありません。軌道に乗ったという感覚を得ることは重要ですが、論理的には正しくても、不適切な表現は無数にあります。どのような場合にどのような表現が適切かは、経験を積みながら、一つ一つ学んで行くしかありません。それによって徐々に、英語が自分にとって自然な言語になって行きます。

これは子供が母国語を学んで行く場合と同様で、個人の人格形成とも切り離せないプロセスです。話し方や表現には個性があり、人それぞれです。中学校レベルの英語を使いながら、正しい方向を崩さず、次第に表現や語彙を豊かにして、自分が理想とする「洗練された英語」に近づける努力が必要です。

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