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保護者の方々へ

バイリンガルは存在しない?

「貴方の母国語(mother tongue)は何ですか?」と聞かれ、答えに窮する人々は、国際社会では珍しくありません。そのような人々は、通常バイリンガルと呼ばれています。そのレベルまで英語が身に付けば、私たちにとって理想と言えますが、はたしてそれは可能でしょうか?

目次

バイリンガルとは?

日本では2つの言語を自由に使い分ける人は、バイリンガルと呼ばれることがあるようですが、これは言語学的なバイリンガルの定義ではないそうです。

言語学的な定義

やや昔になりますが、「真のバイリンガルは存在しない」という学説を紹介したテレビ番組がありました。自分はバイリンガルであると主張する人も、言語学的な検査を慎重に行うと、必ず主言語と副言語に分かれている、というのです。

内容を私流に解釈してダイジェストすると、真のバイリンガルと言うのは「パソコンに2種類のOSが同時にインストールされたような状態」を指すが、これは実際には存在し得ない、ということのようです。つまり1台のパソコンに、Mac とWindowsの2つのOSを同時にインストールできないのと同様です(番組ではパソコンの例は出していませんでしたが)。

Macの製品のパソコンを購入し、MacのアプリもWindowsのアプリも使えるようにすることは可能です。ですが、この場合、両方のOSをインストールするのではなく、WindowsのエミュレーターをMac の上にマウントし、Windowsのアプリをその上で動かします。この場合、最終的な処理はMac のOSが行っています。

また自分は2つの言語を使い分けるが、主言語がどちらであるかは自覚している、という被検者が、実際に検査すると、本人が副言語と思っていた方が実は主言語であった、という例も紹介されていました。

どこを目指せばよいか

「バイリンガルを目指そう」というのは、英会話教室のキャッチフレーズに良く使われますが、「それは存在しない」と言われては、がっかりです。

言語学上のバイリンガルでなくとも、2つの言語を不自由なく使い分けられれば良い訳ですが・・・何処からが「不自由はない」と言えるのかが、また難しいところです。

とりあえず私は、「過度の精神的な負担を伴わずに副言語を使える」というところで良いと考えています。実際に非英語圏の国々の英語教育は、この辺りを目指しているように思えます。

良く考えると、「過度の精神的な負担を伴わずに」というのも、母国語ですら、なかなか難しいところですが・・・

海外での子育て

私が英国に渡ったのは、息子が誕生する少し前のことでした。私は妻を日本に残して渡英し、息子の誕生後、生後3か月で二人は私に合流しました。

バイリンガル的な環境は危険?

渡英する際、私は多くの先生、先輩方から忠告を受けました。子供の言語習得期に日本語なのか英語なのか分からない環境に置くと、子供は言語的な発育が遅れ、発達障害に陥る場合があるので注意しなさい、というのです。海外で研究生活を送った多くの人々の、経験や実例からの忠告でした。高名な先生のお子さんでも、大学に進学できなくなってしまったケースがあるということです。

これは、上に紹介した言語学の学説とも符合しています。つまり、最初に一つ、OSをきちんとインストールしておかなければ、いかなるアプリも正常に作動しないのです。

私の息子の場合も、次第に言葉の遅れがやや心配な状態になってきました。そこで諸先生の助言を思い出し、子供を妻とともに3か月帰国させ、日本語の基礎を作りました。幸い、時期が良かったのか、妻の両親や兄弟たちと緊密なコミュニケーションができたことで、戻ってきた時には驚くほどしゃべりまくっていました。

両親と話せるようになると、コミュニケーションから色々なことを学び始めます。それからは知的な発育も、人並みに順調でした。

その後、日本語ばかりが先行することが心配になり、今度は地元の保育園に午前中だけ預けるようにして、やがて英語と両立させることができるようになりました。その後の私たちの英国生活では、私がフォローできないほどの早口の人や、地元訛りの強い人々と話すときに、通訳としてずいぶん、役に立ってくれました。

主言語の重要性

私の息子の場合は、両親とのコミュニケーションが緊密だったためか、主言語ははっきりと、日本語でした。そして帰国後は英語を話すことを次第に嫌がるようになり、やがてすっかり日本人になりました。

外国語として学ぶ

与えられた環境によっては、実質的なバイリンガルに育つ人もいますが、多くの人々は、そのような環境を与えられません。

しかし、最近では外国の多くの若い人々が、日本の魅力に惹かれ、成人してから日本語を驚くほど短期間に習得しています。日本育ちと思うほどのレベルに達している人々も珍しくありません。

そのような人々を見るにつけ、やはり主言語がしっかりしていることが、大変重要なことのように思われます。きちんと主言語を固めておけば、バイリンガルではなくても、学習によってその上に副言語をマウントできるのです。

ちなみに息子の場合も、日本の大学を卒業した後に、英語圏でない海外に留学することになり、その国の言葉をゼロから勉強しました。

言葉と魅力

それにしても、ヨーロッパ系の人々が日本語を学ぶときの敷居の高さは、私達がヨーロッパ系の言語を学ぶ場合に比べ、はるかに高いでしょう。彼等に高いハードルを越えさせた原動力は、日本の魅力でした。

アニメやグルメだけでなく、それらを通じて見える平和な社会、ほのぼのとした人間関係など、社会の有り方が大きな魅力になったのでしょう。やや「美しき誤解」の感がありますが・・・

実際にこれは恋愛にたとえることが出来るでしょう。惹き付けた方が勝ちなのです。相手が魅力的であれば努力を惜しまないのが人間です。その国に蓄えられた文化、様々な活動が人々を惹き付けます。

英語を学ぶ場合の魅力は何でしょうか?英国など、特定の国の魅力の場合もあると思いますが、現代においては、国際社会に魅力を感じることが重要な要素になるように思います。

すでに私達は、国際化された世界に住んでいます。入学試験という強制力ではなく、国際社会における自分の将来をイメージすることが、大きなモーティベーションに繋がるでしょう。

惹き付けられることも重要な能力です。魅了された人々こそが、大きな力を発揮します。

負けて良いのです。

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